今日は私の幼少期、中学校までのお話をしたいと思います。

 

前にもお話しましたが、私は上に二人の兄、下に二人の弟がいます。

5人兄弟の三男として育てられていました。

 

長男が生まれてくるまでは、代々女系の家系だったため

家系初の男の子ということで、長男、次男はとても大事にされていたようです。

三男が生まれてきたときは もう男は充分だったんでしょうか

比較的 雑 にそだてられたような記憶しかございません。

 

一方、大人のほうは 父と母、祖父母、曾祖母 で 5人、

あわせて 十人家族でした。

 

家事自体は、曾祖母、祖母、母が主にしていました。

 

ところが、もともと女系の家族だったせいもあり、曾祖母、祖母が家事を

ほとんどやってしまうせいか、母はその分楽していたと思います。

 

家では自営業、味噌と麹を生産して販売する 味噌麹店 をやってました。

地元ではそれなりに有名なお店で、一人だけですがうちに修行にきている方もいらしてました。

自営業の長である社長は 祖父で、父は店を手伝いながら 旧JR(昔は国鉄とよばれていた)を務めていました。

父の仕事は 夜勤、日勤、朝帰り といった3交代制の仕事だったため

子である私たち兄弟との会話はほとんどしませんでした。

 

ものすごく威厳のある父でした。

 

悪いことをすると、今ではありませんが、ゲンコツが飛んできましたし、実際のタンコブというのを体験しました。

本当に頭の一部が腫れるんですよ。

 

今にして思えば、タンコブなんて、恐ろしい・・・・。

 

祖父も父と同じように厳しいところはありました。

が、父のように会話がないというわけではなく、

厳しいときもあり、配達のついでにドライブに連れて行ってくれたり、

近所のラーメン屋さんにつれていってくれたりなどの

楽しい思い出が沢山のこっています。

 

反対に、 父は家にいるだけで怖い

そんな家族でした。

 

父が家にいる日は、兄弟5人全員おとなしくなり、父が勤め先に行ったとき

特に夜勤に出かけたときは、言葉が悪いのですが、

水を得た魚のように家でいろいろとやるんですが、

 

次第に、度が過ぎてしまい、兄弟でげんかになったり、

父がいない夜は、いつもガラスを割ったり、ふすまを壊したりなど、

いろいろ度が過ぎる悪ふざけばかりしていました。

兄弟全員、父とほとんどしゃべらず、

父が帰ってきたらおとなしくしているといった

変な家庭環境だった思います。

 

そんな父は私が高校(高専)に入ったころから

すこし柔らかくなったような気がします。

会話を少しづつするようになってきたんです。

これには理由がありまして、

 

実家が郡山市、私は高専の寮で中卒後から家を出ていわき市にすんでいたんです。

定期的に実家に帰省するんですが、普通の公共交通をを使うと

金額がそれなりに大きいです。

 

それを知った父は、郡山からいわき市まで車で送ってくれました。

 

怖い父の隣の助手席にすわるなんて・・・恐ろしい・・・

 

と覚悟というか、めんどくさいと思いながら座っていたんですが、

普通に父が話しかけてくるんですよ。

ちゃんとご飯食べてるか

とか

勉強、友達ちゃんとできてるか

とか

 

このときをきっかけに少しずつ会話をするようになってきたわけです。

そして、ある一つのことがわかってきたんです。

なぜ父は兄弟と会話をほとんどしなかったのか。

父は、祖父から相当のプレッシャーを受けていたようです。

父が国鉄で稼いだ給料を祖父に全額渡していたんです。

その内で自由に使えるお金を祖父から

数万円いただく決まりだったらしいです。

私が子供のころよりさらに昔はそれが当たり前だったらしいのですが

私にとってありえない決まりでした。

サザエさんに例えれば、マスオさんにとても厳しい浪平さんの状態です。

さらに、祖父と血がつながっている母はそんな父に対して気遣ってあげている

様子は全くみられませんでした。

きっと父は祖父母をうらんでいるんだろうなぁ・・・。

と思っていたのですが、

そんなある日、曾祖母が認知症、祖父が脳梗塞といった悪いことが立て続けにあり、

いつものように自営業を経営することが困難な状況に

なってしまいました。

やむを得ず自営業の権限を父が祖父から譲り受けますが、同時に国鉄の民営化といった出来事もあり、

父は大好きだった国鉄の仕事を辞めて、自営業を本業に切り替えたわけです。

とはいえ、自営業が不慣れだった父は、ホテルの警備員の仕事をあらたな副収入源としていきます。

父は、痴呆症の曾祖母と、体のキレが悪くなった祖父の介護を、母や祖母以上に積極的にやるようになりました。

家族のだれにも愚痴や文句を言わずに。

これらの出来事があって、私は 怖くて話すだけでも怖かった父が、

偉大であり、尊敬する父としてみるようになりました。

子供のころに本当の父を早く知っていれば。

と感じています。

相手を知るためには、会話を通して知るしか方法がないと思います。

怖くて恐ろしい父は、実は偉大で尊敬する父だった。

父はすでに他界しこの世にはいませんが、

今は自分が家庭を持ち、子供も持ち、父親でいます。

子育てに困ったとき、妻との関係で困ったときは

父を思い出して、父だったらこうしているだろう。

と常に父を目標にしています。

でもゲンコツはしませんし、

子供を叱るときも含め、相手の目を見て

対話するように心がけるようにしています。

人生の中で生きていく中

偉大なかたとの出会いがあり、

師と呼びたい人と出会い その師からの教えがあるかと思います。

私には、偉大な師と呼びたい方がいらっしゃいます。

しかし、一番近い 人生の師は 自分にとっては 父だったのかもしれません。

人生について、いろんなことを聞きたかったと時々思います。

自分の子には、私と同じ思いをさせないよう しっかりと対話するようにしたいと思います。

 

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